ベネズエラに対する米国の介入の仕組み
〔How United States Intervention Against Venezuela Works:Original Article in English/ZNet原文

フィリップ・エイジー〔Philip Agee〕


要約

米国政府が、ウゴ・チャベス・フリアス大統領と彼を支持する政党連合を政権から追放する為に、ベネズエラの政治的反対派に有利となる、複数の作戦からなる計画を実行している事は周知の事実である。ビル・クリントンの政権により開始され、ジョージ・W・ブッシュの下で増大された、この計画に対する予算は、2001年の約200万ドルから、2005年には900万ドルに跳ね上がり、それは「民主主義を促進」し、「紛争を解決」し、「市民生活を強化」する活動として偽装されている。それは、ボリバル主義の革命的過程に終止符を打つことを決めた政治政党、NGO〔非政府組織〕、マスメディア、組合、実業家による、広範囲にわたる組織網に対する資金提供、訓練、助言、そして指導によって構成されている。計画は明確な短期・中期・長期の目標を掲げ、流動的なベネズエラの政治的過程の変化に容易に適応している。

ベネズエラにおける政治的介入の計画は、世界中で国務省(DS)、国際開発庁(〔US〕AID)、中央情報局(CIA)、そして米国民主主義基金(NED)とその4つの提携基金により主導された多数の計画の1つである。〔NEDと提携している〕それらの基金は共和党による国際共和研究所(IRI)、民主党による米国民主党国際研究所(NDI)、米商工会議所による国際民間企業センター(CIPE)、そして米国の主要な全国組合連合である米国労働総同盟・産別会議(AFL-CIO)による米国国際労働連帯センター(ACILS)である。これに加え、この計画は提携した組織体の国際組織網の後援を受けている。

〔ベネズエラ首都〕カラカスにある米国大使館のAID役員と、同じくカラカスにあり、大使館の管理下にある3つの「私有」事務所、IRI(2000年設置)、NDI(2001年)、米国のコンサルタント会社のDevelopment Alternatives, Inc.(DAI)(2002年)と呼ばれるAIDの請負業者を通して、様々な団体が彼らの作戦を実行している。上記の3つの事務所は、それらが資金を提供している多数のベネズエラ人受益者と共に作戦を進展させている。その資金源は国務省、AID、NEDそして、証拠はいまだ上がってないが、おそらくCIAから流出している。この最初の3つ〔国務省、AID、NED〕による作戦は何百という公文書に広範囲にわたり述べられている。その文書は、米国人ジャーナリストのジェレミー・ビッグウッド〔Jeremy Bigwood〕が、公開時には多くが黒塗りされるとはいうものの、政府文書を機密種別から外し公表することを要請する法である、情報自由法〔Freedom of Information Act〕により入手したものである。

米国介入計画のベネズエラ人提携者は、2002年4月のチャベス大統領に対する失敗に終わったクーデター、2002年12月から2003年2月までの石油締め出し・ストライキ、そして2004年8月の信任投票に関与していた。第一陣である彼らの3つの企てが失敗したことにより、上記の米国の諸組織は現在2005年と2006年のベネズエラ全国選挙のために計画を立て、組織している。この分析はこの計画がどの様に作用し、それが意味する危機を示すことにある。

A.いくつかの歴史上の前例

ベネズエラの選挙過程に対する米国の介入は、1947年のCIA創設から始まった活動の継続以外のなにものでもない。その年の10月、情報局を設立する法令にトルーマン大統領が調印した僅か1ヵ月後、彼はCIAに、イタリアでの1948年4月に計画された国政選挙において、イタリア共産党(PCI)の勝利を妨げる作戦を開始するよう命令した。この選挙は第2次世界大戦終結後、初の国政選挙であり、ファシズムに対する抵抗運動の一翼を担ったため名声を博していた共産主義者らは、イタリアにおける米国の支配に対する真の脅威としてワシントンでは受け止められていた。バチカンと提携して、CIAはPCIを失脚させ、キリスト教民主党を支持する複数の秘密作戦を編成した。報道はトルーマンがこの介入のためにCIAに、当時としては多額の金である1000万ドルを投じたことを示唆している。結果は願った通りになった――キリスト教民主が楽勝した。

CIAによる秘密選挙作戦の企ては継続し、政治政党、組合、学生と青年団体、文化人・職業人・知識人の諸社会、女性団体と宗教団体、情報メディアなどに対する潜入や操作と共に、決まった手順で行われる隠密作戦の分野となった。これらの作戦の範囲は世界的規模に亘り、その時勢の政治的状況にもよるが、実質的に全ての市民社会団体が標的となった。1976年のCIAの歴史に対する下院調査は、CIAの秘密活動の最も常習的な分野が政治介入であったことをさらけ出した。

秘密活動の初期から、CIAが提供した資金を正当化する、あるいは隠すという、受益者が抱えていた絶え間ない難題にCIAは悩まされていた。この問題をある程度解決するため、CIAは協力的な米国諸基金との関係を確立し、それらを通して外国の受取人に資金を注いだ。同時に自らの基金の組織網を創設し、その組織網はCIAと契約した弁護士が処理した書類以外の何物でもないことがしばしばあった。

1967年2月、米国の報道が、利用された諸基金と、多くの援助されていた外国団体の名前を暴いた時、CIAの秘密資金提供組織の大部分が崩壊した。この不祥事の2ヵ月後、CIAと亡命キューバ人社会との関連で知られる、マイアミの議員ダンテ・ファセル〔Dante Fascell〕が議会で、その時点まではCIAにより秘密裏に資金提供されていた外国民間団体に対し、公に資金を供給する民間基金の設立を提案した。しかしその時点ではファセルの提案は支持を獲得できず、CIAは1973年のチリにおける軍事クーデターを誘発させた

様な秘密活動の首謀者としての政府の部門として継続した。

その後、ベトナムにおける米国の敗北と、ウォーターゲート事件で頂点に達する続けざまの不祥事を引き起こすこととなる、議会両院で行われたCIAに対する調査とが同時期に起きた1975年から、上層部の米国対外政策立案者の中から新たな学派が現れた。ジミー・カーター政権(1977年―1981年)の期間中、対外政策上層部に、世界中(フィリピン、イラン、南米南部地域〔Southern Cone:アルゼンチン、チリ、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジルを含む地域〕、中米、等)の米国に支援された抑圧的な独裁政権は、米国の長期の利益を維持する最善の解決策ではないという概括的な考えが生まれてきた。この利益とは根本的に第一次資源、労働、世界市場、特に第三世界と俗にいう市場を利用する権利〔free access〕のことである。この民主主義を独裁政治体制よりも好む新たな概念は、プロジェクト民主主義〔Democracy Project〕として知られるようになる。1979年に政府と民間両方の出資によりAmerican Political Foundation(APF)が設立され、両方の政治政党〔民主・共和〕、企業と組合部門が関与した。その目的は米国がいかにしてその外国利益を、米国連邦体制あるいは欧州の議会制を基にした、自由に選出された民間政府を通して、より安全に保護できるかを明らかにすることであった。

APFは国家安全保障会議に属したCIA高官の指導の下、研究と調査を開始した。2年間の研究の後、その結論は、自由・社会民主・キリスト教民主の政党がそれぞれ連邦政府に資金供給された民間財団を有する、ドイツ連邦共和国の風習に似たものを採用するということであった。この諸財団は、政治政党と政治的信念を共有する他の海外団体を支援した。APFの勧告は広く受け入れられ、1983年11月に議会は、米国民主主義基金を設立する法案を通過させ、1984会計年度用に、1400万ドルを基金に授与した。

この新たな基金NEDは国務省の指揮下に置かれ、議会に毎年承認された資金を、資金注入が目的で創られた4つの提携基金を通して流した。それは共和党による国際共和研究所(IRI)、民主党による米国民主党国際研究所(NDI)、米商工会議所による国際民間企業センター(CIPE)、そして米国の主要な全国組合連合である米国労働総同盟・産別会議(AFL-CIO)による米国国際労働連帯センター(ACILS)である。1967年以来この計画を促進することを止めなかった、マイアミの議員であるダンテ・ファセルはNEDの第1回理事会の理事に任命された。

NEDとその提携基金は米国の利益――とりわけ民営化〔=私有化〕、規制緩和、組合の統制、社会事業縮小、関税の撤廃そして市場を利用する権利という新自由主義政策――に賛成する政治政党や、他の外国市民社会による団体に対し資金を流す仕組みとして考え出された。この仕組みの全体は昔も今も、米国政府対外政策の道具以外のなにものでもない。それにもかかわらず、NEDと提携基金は常に、彼らの作戦は私的であるという偽りの印象を維持しようと努めてきており、実の所NEDはNGOの法的地位を有している。

米国国際開発庁(AID)とCIAはこの「民主主義促進」計画に完全に関与している。NED作戦の初めの年である1984年に、AIDはOffice of Democratic Initiatives(ODI)と呼ばれる事務局を設立し、それは1994年に、NEDとは別に、外国の市民社会と選挙過程に資金を流す役割と共に、移行イニシアティブ室Office of Transition Initiatives(OTI)と改名された。おそらくOTIの初代高官らはAIDに組み込まれていたCIAの選挙・市民社会作戦専門家であっただろう。外国の警察官を支援し、訓練するために米国公安局〔Office of Public Safety〕がAID内に設立された1960年代初期にも似たような事が起きている。CIA内部のコード名「DTBAIL」の下、警察援助計画で数年間働いていたCIA高官らは、それらの計画を「技術的援助」として拡大する為、その偽装した地位をただ単に新たなAIDの局に移した。AIDは「公共安全」局を多くの諸外国に設立し、世界中で最悪の人権侵害者となる数万人の警察を訓練した。

1980年代からODI/OTIはNEDと提携した4つの基金を直接通し、諸計画に出資し、近年OTIはそれらの計画にNEDが流すよりも多く金を流してきた。OTIとNEDという2つの資金援助源は、米国諸基金、コンサルタント会社、広報活動事務所の広範囲に亘る組織網を通し、資金を流している。この様な仕組みは最終的に資金を受け取る者が、米国政府による資金供給を隠すのに役立っている。それにも関わらず米国政府は資金の使い道に対する完全な管理を保持している。

これに加えて、CIAは、NEDとOTIが「公に」支援を受けている者達に、秘密裏に資金を提供することができる。例を挙げれば、外国計画指導者らの忠義と規律を保証するための補足俸給という形である。同様に、ある種の計画はある程度のみNEDとOTIにより資金提供され、受取人は残りの資金を自ら集めることを義務付けている。CIAは、まるでそれらが個人、企業、あるいは民間団体から来ているかのように、その資金を提供することができる。

AIDとNEDのどちらも、直接外国の政治政党に資金提供することを禁じられていると言い張り、故に彼らはその活動が党派とは関係がなく、「市民社会の強化」に専念していると皮肉にも主張する。とはいうものの、彼らの計画は米国の利益に適い、反対勢力に不利に働く政治勢力を常に支援する。彼らは、市民団体・コンサルタント会社・基金の組織網を通すことにより、問題なく政治政党に資金と他の支援を与えているのである。

B.ニカラグア:新たな「プロジェクト民主主義」の初めての作戦

1980年代の10年間、米国対外政策の優先事項のひとつは、ニカラグアでサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)を政権から追放することであった。介入は2つの基本的な方針を採った。1つめの手段は、CIAと、その後にはホワイトハウスと国家安全保障会議に基礎を置いた、オリバー・ノース〔Oliver North〕のネットワークにより組織・供給・指導された「コントラ」として知られる準軍的なゲリラ勢力であった。別の手段は、CIA・AID・NEDとその4つの提携基金が組織した作戦を通した選挙介入であった。NEDにとってニカラグアは、資金を流し、選挙で勝利することが出来る政治的反対派の開発を指導する、自らの手腕をためす初めての試験であった。(この歴史はウィリアム・I・ロビンソン〔William I. Robinson〕著「A Faustian Bargain: U.S. Intervention in the Nicaraguan Elections」Westview Press, Boulder, Colorado, 1992で具体的に述べられている。)

ニカラグアでのコントラによるテロ行為、惨劇と経済的損害についてはよく知られている。だが、コントラは戦場で敗北した。(前記のロビンソンに加え、ホリー・スクラー〔Holly Sklar〕著「Washington's War on Nicaragua」 South End Press, Boston, 1988も参照。)8年の苦闘の期間中(1980年―1987年)コントラはニカラグアのどの村や市も乗っ取り、確保することができなかった。しかし、この戦争が起きた全地域、そしてグアテマラとエルサルバドルの戦争における破壊的な影響の結果、1987年に平和を達成する為、中米の大統領らはエスキプラス合意〔Esquipulas Agreements〕と呼ばれた妥協の一括合意に達した。この合意は武力衝突を市民・政党闘争に変えることを求め、1990年にサンディニスタ戦線の敗北に終わる、ニカラグアの選挙過程に対し大規模な米国介入を許す隙を与えた。

既にCIAは1984年のニカラグア選挙に介入しており、その時彼らは反対派指導者の大統領候補アルトゥーロ・クルス〔Arturo Cruz〕を擁立した。当時CIAはクルスに6千ドルの月給を支払っていた。だが彼の立候補は偽りであり、計画は、彼が立候補し、選挙の直前にサンディニスタが自らに都合のいい様に選挙過程を不正操作したと主張し、立候補を取り消すというものであった。それでもいくつかの政党は参加し、サンディニスタ戦線は67%の票を取得した。1990年の選挙では、米国は数十年に亘るCIAの選挙過程における経験を基に新たな技法を試みた。

新たな選挙介入が真剣に始まったのは1987年のエスキプラス合意後であり、3つの主要な仕組みを展開することにより構成された。1)大統領職と他の公職に、共通の立候補者を後援する主要な野党連合。2)政党・組合・企業団体・市民団体の政治戦線。3)推定上無党派だが、現実には反サンディニスタである全国的規模の市民社会による政治参加の促進と選挙監視。米国が現在同じ手法を、2005年と2006年の選挙の準備として、ベネズエラにおいて適用していることを後述する。

事実上、サンディニスタがソモサを抑え勝利した1979年7月以来、「ラ・プレンサ〔La Prensa〕」紙を含む反対派は秘密資金を、CIAを通しカーター政権から受け取っていた。反対派の中心は右翼実業化・資本家・地主の団体、民間企業最高会議〔Superior Council of Private Enterprise〕(Consejo Superior de la Empresa Privada, COSEP)であった。1981年に、COSEPとは別に、AFL-CIOと提携した4つの保守政党と2つの組合団体を含むニカラグア民主協議会〔Nicaraguan Democratic Coordinator〕(Coordinadora Democr?tica Nicarag?ense, CDN)を設立・強化するため、レーガン政権はCOSEPにAID基金から100万ドルを提供した。CDNは中止された1984年のアルトゥーロ・クルスの大統領選挙戦と、1990年の選挙に到るまでの間、政治的反対派を維持する媒体となった。コントラによるテロ行為や経済的破壊と並行した、この政治的プロパガンダ計画は1983年にはCIA資金から来る1400万ドル、そして選挙運動が始まる1988年までの間、CIA、AID、そして(その作戦の最初の年である1984年から)NEDにより少なくとも年間1000万ドルによって助成された。

CIA・NED・AIDによる介入主義のトロイカ体制にとって最も困難を極めた仕事は、政治的反対派を統一することであった。この作業においてNEDは提携基金を通し主要な役割を果たした。それはNDI(民主党)、IRI(共和党)とACILS(AFL-CIO)であり、NEDは主な手段としてCDNを利用した。NDIとIRIは彼らの作戦を指導するため〔首都〕マナグアに事務所を設立した。常に金を主要な報奨として使い、NDIとIRIとACILSは1988年までに統合された反サンディニスタ女性・青年・労働組合戦線を確立した。選挙が6ヵ月後に迫った翌年7月、ようやく彼らは20以上の反対派政党を、14の政党からなる政治連合にすることが出来た。その戦線は国民野党連合〔National Opposition Union〕(Union Nacional Opositora-UNO)と呼ばれた。その形成から1ヵ月後、UNOはビオレタ・チャモロ〔Violeta Chamorro〕を大統領候補に指名した。CIAに資金提供された反対派新聞「ラ・プレンサ」紙の所有者であったチャモロは、実の所ブッシュ政権により既に候補としてあらかじめ選ばれていた。

CDNとUNOの後に来る、3番目の必須の政治的仕組みは、推定上無党派だが、完全に反サンディニスタである広範囲に及ぶ市民戦線が、民衆に選挙登録を奨励し、選挙日に可能な限り高い投票率を確保することであった。この戦線の別の仕事は、不正がなく透明な選挙を確実にする為、登録と選挙過程を特に選挙日において監視することであった。再びCDNが主要な役割を担った。UNO形成1ヵ月後、そして組織された活動の1年以上後の1989年8月、Via Civicaが市民の義務についての「教育」をする団体として立ち上げられた。その義務とは広範な投票を確保し、選挙日の投票状況を監視し、いかなる不正の徴候も糾弾し、調査と票読みを最高選挙審議会の公式の票読みと並行して行う事であった。Via Civicaの活動家は雇われた志願者であり、彼らが所属した団体は、CDNがこの目的のために設立した女性・青年・労働者の緒団体が含まれた。

これら全ての目標を達成する為、1987年にNEDは米コンサルタント会社のDelphi International Groupをニカラグアに呼んだ<brought a U.S. consulting firm, the Delphi International Group, to Nicaragua>。NEDは1984年以来この会社を中南米の政治的事業のために雇っており、ニカラグアでDelphiは組織員と宣伝員を提供し、NEDの資金の主要な受領者となる一方で、青年と女性戦線、Via Civica とUNO政治連合を組織するためにCDNを利用するうえで、主な仕事を実行した。Delphiは間違いなく、これらの作戦の重要な米国の関係者であり、その上「ラ・プレンサ」紙と様々なラジオ・テレビ局を通したUNOの選挙宣伝を受け持っていた。

ニカラグアで実行された活動を補足し支援するため、国務省、AID、CIA、NEDは1988年にマイアミ、カラカス、サンノゼに戦略センターを設立した。これらは主にニカラグアの受益者と国外の集会の為に資金を流すことに務めた。1989年2月よりベネズエラの大統領職2期目が始まっていた、カルロス・アンドレス・ペレス〔Carlos Andres Perez〕は、彼の管理下にあったカラカスの2つの基金を通し、これらの計画を助成した。サンノゼにおいては、NEDは既に1984年に中米全土の市民運動を促進するためCenter for Democratic Consultation (Centro para la Asesoria Democratica, CAD)を設立していたが、1987年にニカラグアがその主要な焦点となったのである。CADはマナグアに資金と宣伝用資料を注ぎ、反対派活動家のために養成講習を組織した。1988年に始まった選挙前運動において、CADは、異なる反対派団体間の詳細な計画と連絡を保証するため、中心的な後衛の基盤となった。

1989年の秋に選挙運動が始まった時、ブッシュ新政権はUNOと関連団体を支援するためNEDに900万ドルを割り当てた。この資金は、選挙を財政的に管理する為、50%の資金が最高選挙審議会に行く代わりに、米国がNEDを通し「公に」反対派に資金提供することを許されるという、ジミー・カーターとサンディニスタ指導者との間の奇妙な約束の結果による。それと引き換えに、米国はCIAのさらなる秘密の資金により介入はしないと約束した。即座にCIAはこの約束を密かに破ったのだが、UNOに対するNEDによる「公の」資金提供は始められた。1989年―1990年のニカラグア選挙運動に米国が投資した総額は公式に明らかになってはいないが、2000万ドル以上であると推察されている。

1990年2月に選挙が行われた時、ニカラグアは既に10年間のテロ戦争と、きわめて深刻な経済荒廃を被っていた。状況を悪化させるため、米国は1985年に経済制裁を課しており、停戦が〔条件に〕含まれていたエスキプラス合意に違反し、コントラは解体されていなかった。コントラは手付かずで、絶えず、戦争の再来という脅しをかけていた。選挙運動中、コントラは、自らの存在を人々に思い知らせるため、不断の武装プロパガンダ行動を実行した。さらなる戦争の脅威、人口の大多数に影響を与えた経済的損失、そして米国によるUNO政府に対する莫大な再建援助の約束――これら全ての要因が投票の時に影響した。UNOは、サンディニスタ戦線の42%を上回る54%の票で勝利した。

米国の大規模な介入がなかったとしたら、どの様な選挙結果になったのかと正確に推測することは不可能である。それはともかく、この介入、とりわけUNO連合の成立とVia Civicaにおける反対派活動家の集結が、重大な影響を及ぼしたことは否定できない。同時に、コンサルタント会社Delphi International Groupが果たした主要な役割の重要性を過小評価することはできない。確実な事はNED、AID、CIA、そして米国の個人請負人らの組織網による共同作戦が、ワシントンにおいて大いなる成功として受け入れられたということである。それは将来の外国選挙介入において繰り返されることとなる方策であり、そこにはサンディニスタ戦線が政権に復帰しないことを確かなものにするため、ニカラグアは再びその対象となる。実際に、選挙の1ヵ月後、ブッシュ政権はニカラグア支援のため、議会に3億ドルの承認を求め、その中には、1990年の選挙運動において利用された団体を将来の使用を目的に維持するため、NEDと共に、AIDに対する500万ドルが含まれた。次に、いかにしてこの方策がベネズエラにおいて適用されているかをみていこう。

〔以上〕ドーン・ゲーブル〔Dawn Gable〕によるスペイン語英訳

C.ベネズエラ:ボリバル主義革命に対する現在の米国介入の事例

ベネズエラにおいてジョージ・W・ブッシュ政権は、1980年代のニカラグアで米国が実行したものに酷似した活動の組み合わせにより、政治過程に介入しているが、コントラの規模でのテロ戦争はなく、そして――少なくとも2005年中盤までには――経済制裁もなされていない。これらの活動は、2005年の予算が100万ドルに近づくなか、「市民教育」、「選挙過程にたいする支援」、「民主主義体制の強化」として偽装されている。現実には、ほぼ密かに実行されているこれら全ての計画は、チャベス大統領と彼の連合に対する反対派を支援している。

この「ベネズエラの民主主義に対する公的支援」を実行する機関は、国務省、米国国際開発庁(〔US〕AID)、米国民主主義基金(NED)とその4つの提携基金である。ワシントンDCの隣に位置するメリーランド州ベセスダに本社を置く、コンサルタント会社であり、民間請負業者であるDevelopment Alternatives Inc.(DAI)を通して、AIDの移行イニシアティブ室(OTI)により過去最高額である約700万ドルが2005年度に流された。それに加え、いつも通りCIAが秘密資金の供給と内密の支援提供の役割を果たした。

DAIのウェブページは、1970年に創立された自らの会社のことを、本社では250人の従業員を有し、国際計画事業においては約1500人が働いていると説明している。それは「公平で効果的な政府を築き、天然資源と農業生産を管理するため地方の能力を強化し、小規模融資〔いわゆるマイクロファイナンス〕から企業開発へと成長する力を与える経済の原動力を煽り、発展段階の市場における民間投資の影響を強化するため」その大半が第三世界である、150の諸国において開発計画を実行してきた。「顧客は米国国際開発庁、世界銀行、二国間開発機関、国際企業、対象国の政府等が含まれる。」その計画は農業と天然資源の管理、銀行業務と金融業、危機緩和と経済復興、民主主義と統治〔いわゆるガバナンス〕、グローバルな商取引に対する解決とエイズの影響の緩和を取り扱う。後に見ていくように、DAIは外国において、CIA高官や工作員を、商業という隠れ蓑で覆い隠す理想的な企業なのである。

ワシントンにおいて、ベネズエラ機関間作業グループという様な名を持つ諸作戦を指導する、最高位委員会があることは間違いないだろう。通常、国務省の代表が委員会の議長になり、他のメンバーはAID及びOTI〔以下AID/OTI〕、国防省、CIA、NEDと他の関連機関を代表する。様々な責務の中で、この委員会は予算を決め、その資金を流すため、いかなる仕組みが使われるのかを決定する。同時に委員会は作戦の効果を見積もり、議会の適切な委員会に常に通知しなければならない。

AID/OTIが事務所を構える在カラカス米大使館を通して、国務省はベネズエラにおける介入計画を綿密に監督する。当然のことながら、CIAも外交の偽装の下、大使館に事務所を持っている。ワシントンでの様に、大使か首席公使が議長を務める組織委員会が大使館にあるであろうし、そのメンバーは政治部長官、OTI代表ら、CIA支局長、大公使館つき陸軍武官や、ことによると他の者が含まれるであろう。

またカラカスには、大使館とは離れ、民間外国法人という法的立場を有する、NEDと提携した2つの基金の事務所がある。国際共和研究所は、アルタミラ地区の8番通りと9番通りの間にある、2番街のキンタ・レタナ・ビルの一階に事務所を置いている。そして米国民主党国際研究所(NDI)は、カンポ・アレグレ、フランシスコミランダ通りのエディフィシオ・トレ・ラ・プリメラの14階、事務所14Bに位置する。それに加えて、コンサルタント会社のDevelopment Alternatives, Inc.(DAI)は事務所をエル・ロサル、グアイカイプロ通り、エネル・トウェル2階、事務所2Bに置く。これら3つの作戦の中心点それぞれで、ワシントンで選出された米国市民職員と、雇用にはワシントンの事前承認を必要とするベネズエラ人従業員が働いている。

カラカスのこれらの活動機関――IRI、NDI、DAI――の事業は、作業、経費、開始と終了の日付、そしてOTIとDAI間の契約のように幾つかは事業拡大の選択肢を含む、単独の委託契約の形態を取る。承認と契約の下の資金を得るため、IRIとNDIの計画説明書類は、彼らのワシントン事務所により、国務省、AID/OTI、あるいはNEDに提出される。その後、資金はカラカスの事務所に分配され、そこから、それぞれが資金元機関の本部による承認を要する、下請契約者であるベネズエラの受益団体に金は回される。

カラカスに事務所を置くこれら3つの活動機関もまた、ワシントン本部に推薦された受益団体の指導者の履歴書を提出しなければならない。明らかにCIAが、承認過程の一環として、局自身と他の安全保障局を通し、彼らの素性の安全性を調べるためであろう。加えて、全ての委託契約は、計画遂行機関が重要な問題についての特別報告書に加えて、経過報告書を3ヶ月あるいは6ヶ月毎に提出することを義務付けている。概して、この計画、承認、委託契約、下請契約の方式は米国政府に完全に管理された具体的で、洗練された手法なのである。その証拠は、情報自由法により2003年以来入手されてきた、契約書を含む、数百とある公式文書に書かれている。相当量の文書がhttp://www.venezuelafoia.infoにおいて公表されている。これらの文書は、NEDが少なくとも17のベネズエラの非政府組織に、直接資金供給をしてきたことを明らかにしている。これにはその4つの提携基金を通して行われた資金供給は含まれていない。

米国により指導され、出資された活動は過去も現在も多様なのだが、それら全てが、政治諸政党とベネズエラ労働者総連盟〔Venezuelan Workers Confederation〕(CTV)の様な諸NGO、双方の政治的反対派の発展と強化をその目的としている。これらの活動に含まれるものは、研修会、研究会と会議、政治政党を発展させるための訓練講習、政党連合による協調の促進、投票者を登録し最大数の票を保証するための組織的活動、〔公式名簿に〕並行した非公式の投票者名簿の確立、不正行為を見つけるための選挙監視人の訓練、不正を非難するための全国選挙評議会(CNE)の線密な監視、選挙得票数を数える非公式の組織、CNEによる公示前の発表のための結果の迅速な予測(「開票速報」)である。これらの具体的な目的とは別に、活動は選挙過程に中期・長期的な、必ずボリバル革命に反対する、新たな志願者を呼び寄せるよう設計されている。好意を持たれている政党は、民主行動党〔Accion Democratica〕(社会民主主義者)、キリスト教社会党〔COPEI〕(キリスト教民主主義者)、社会主義運動党〔Movimiento al Socialism〕、ベネズエラ計画〔Projecto Venezuela〕と正義第一〔Primero Justicia〕等である。

この介入における多くの受益者のひとつは、民主調整委員会〔Coordinadora Democratica〕[1]であり、この組織の代表は企業、労働、政治政党から来ており、それは1980年代のニカラグア民主協議会〔CDN〕によく似た役割を果たしている。別の受益者は、2003年の失敗に終わった石油ストライキの終わりに、不信任国民投票を呼びかける組織的活動を始めるために登場したスマテ〔Sumate〕という組織である。この組織はニカラグアのVia Civicaによく似ている。最後に、コンサルタント会社のDAIは、ニカラグアで活動していたDelphi International Groupとそっくりであり、それはベネズエラ:自信構築イニシアティブ〔仮訳:Venezuela: Confidence Building Initiative 英文では「Venezuela: Initiative to Build Confidence」とあるが、これはスペイン語から英語に翻訳された時の手違いであろう。〕(VICC)と呼ばれる、反チャベスのプロパガンダに資金提供をしている。

ベネズエラにおける米国の政治的干渉が、いかにして作用するのかを理解するには、カラカスに事務所を置く3つの活動機関――DAI、IRIとNDI――との間の、AID/OTIの5つの契約書を調べるのがいいだろう。以下では次の事を分析する。1)2002年4月の失敗に終わったクーデターに続くDAI開業を伴うOTI契約。2)2004年8月の不信任国民投票と、その後の起こりうる選挙に対する介入のための、IRIとの2つの契約。3)同じく不信任国民投票に介入するための、NDIとの2つの契約。不信任国民投票の2年前からの、これら5つの契約の金額は、およそ1200万米ドルであり、原文はwww.venezuelafoia.infoのUSAID Contractsの項目において英語で公表されている。

1.ベネズエラ:自信構築イニシアティブ(VICC)を設立するためのOTIとDAI間の契約

2002年4月の失敗したクーデターの後、AID/OTIは、米国政府の計画の主要な役者として、ベネズエラにおける作戦を開始した。それまで政治的介入は主に、100万ドルの年間経費を用いたNEDとその4つの提携基金の手にあった。現地で作戦を実行するにあたり、2000年にIRIはカラカスに事務所を開き、2001年にNDIがそれに続き、これらの事務所は今も機能している。この2つの機関は多様な組織に資金を提供した。それらの組織を指導したのは、クーデター中に民主的社会制度を廃止したカルモナ法令〔Carmona Decree〕に調印した人々であり、クーデターが失敗に終わった後も、機関はクーデター陰謀者らを支援し続けた。だが、クーデター後、ワシントンにおいて、はるかに多額の資金と共に、ベネズエラでの試みを増大させるという明白な決定が下された。だが、今回はAID/OTIそしてDevelopment Alternatives Inc.と言うコンサルタント会社を通してである。この会社は、民間会社の見せかけの下、AID/OTIの支部として行動することとなる。

2002年6月、AID/OTIは、カラカスの米国大使館に、新たな計画を監督する2人の高官を送ることにより、ベネズエラにおけるこの計画を開始した。OTIのウェブページはこの事務室が、戦争から平和へ移行している、あるいは非民主主義政府から民主主義体制へと移行している危機地域における介入を受け持っていると述べている。どうやら、AID/OTIはベネズエラを、1998年のチャベス大統領初当選以来の様々な自由で公平な選挙にも関わらず、「民主主義へ移行している」国とみなしているようだ。ベネズエラにおけるOTIの初年度予算は220万ドルであり、それはベネズエラに対するNEDの当時の年次予算の二倍以上である。

2002年8月に、OTIは、「民主的な団体と手続きを支援し...社会活動の緊張を緩和し、民主的な均衡を保つ」ことを意図した諸計画を、ベネズエラに打ち立てることをコンサルティング会社DAIに委託し、その年の10月にDAIはカラカスに事務所を開設した。

1年目の予算は520万米ドルであり、作戦2年目は約490万米ドルであった。これらの額はNEDと連携基金に対する年間予算、およそ100から200万ドルよりも遥かに多い。毎年のDAIの予算には、ベネズエラの受益団体に対し資金や資料を配るための350万ドルが含まれ、残りは固定費、給料、交通手段への投資、情報伝達、コンピュータや他の経営上の経費のためであり、それに加え、情報自由法により開示された契約書では、その額が検問されているDAIの委託手数料がある。実の所、この計画は随意〔契約期間〕の2年目も継続し、そして契約は2005年の9月まで延長された。十中八九、それは再び2006年後半の全国選挙にまで延長されるであろう。

契約書によれば、OTIが、この計画をベネズエラに打ち立てることを決定した理由は以下である。

1)「大統領宮殿の外で、数人の抗議する人々が殺害された」4月以来、「政治的緊張が劇的に高まった」(クーデターについては言及されていない)。

2)米国は「ベネズエラにおいて(民主主義)の、持続を確保することに強い関心」を抱いている。

3)ベネズエラの「諸団体」は「民主的な均衡が取り戻され」、「全国・地方レベルにおける、メディア・市民社会・政治政党・政府制度を含む、人権と意見の自由な表現に対する保護」に対して支援を必要としている。

2002年8月30日付けのAID/OTIのDAIとの契約書は、DAIが従事する方法を列挙した49ページから成り立っている。序説において、OTIは自らをコソボ、フィリピン、ハイチ、コロンビア等における社会的、経済的、政治的な危機を前に、迅速に反応した勢力であると評している。それは自らの計画を「素早く、柔軟で、創造的で、効果的で、的を外さず、刺激を与え、そして公然と政治に関わる」と表現している。それはさらに、「OTIはしばしば、米国政府の最優先事項、そして注目された諸国に関する、最も繊細な政治問題に関与する」と付け加えている。その資金は米国国際災害援助基金〔U.S. International Disaster Assistance Fund〕から来ており、その計画は通常1年から2年継続し、その期限が来ると、OTIは通例その作戦を他のAIDの部門に受け渡すか、あるいは終了する。上記の契約書は、OTIが国際政治緊急出動部隊と同等であり、それを米国政府が、米国益に脅威を与える社会的・政治的激変を抑制するために利用している――軍の特殊部隊に類似したものである――ことを明白にしている。

OTIが支援する外国団体の類は、契約書によれば、1980年代そしてプロジェクト民主主義が採用されるまでは、CIAの秘密活動の一覧表に成りえたものである。すなわち、地元・地域・全国政府であり、民間、ボランティア組織であり、国際組織であり、先住民族集団であり、協同組合、団体と学生集団であり、非公式団体であり、メディア、民間部門と、これらの団体の連合である。OTIの活動に含まれるものは、調停の促進、争いの予防と解決、ジャーナリズム教育を含めた独立メディアの増進、司法改革、元戦闘員の動員解除と社会復帰、テレビ・ラジオ・報道機関を利用した国民メッセージの促進、初期資金を伴った主要な非政府組織の再開、そして選挙支援と強力な市民社会の発展を伴う統治の促進である。

ベネズエラに限定すれば、この契約書はDAIが「民主的な社会制度と手続きを強化するため、労働者、企業、政治団体、政府と市民社会」とだけではなく「ジャーナリズム訓練を通したメディア機関」と働くことを義務付けている。さらに、DAIは「包括的なベネズエラにおける社会的・政治的な政策についての対話を促進し、また市民の二極化により現在閉ざされている対話の道を切り開くNGO」と協力することが義務付けられている。この契約書は、計画は党派に属さず、憲法違反となる手段により政治秩序を変えることを望む組織には支援をしない、と規定している。しかし実際は、この計画の下の資金は全て政治的反対派に流れており、その中には、2002年4月の失敗に終わったクーデター中に、民主主義的社会制度を廃止したカルモナ法令に調印した人々が含まれる。

契約書によると、ワシントンのADI本部のCognizant Technical Officer(CTO)と呼ばれる係官が、全てのOTI計画を監督し、全ての重要な決定には彼の承認が必須である。契約書でラッセル・ポーター〔Russell Porter〕と呼ばれている、このCTOは国務省と緊密に連携し、OTIの現地代行者に任命され、カラカスの大使館に配属されたOTI職員の活動を指導している。これらの役員は、OTIに出資され、カラカスのIRI・NDI・DAI事務所により遂行される、日々の活動を指導している。

契約書によると、DAIは、経営、物流、取得物、財務に関わることを含めた、計画遂行に関する全責任を持つ。DAIに義務付けられていることは、事務所の設立、事務所の設備と車両の購入、ベネズエラ人従業員の調達、通信手段と経理システムの設置、自らの活動の詳細全てを保存するデータベースの開発・維持、下請負経由で資金を分配する計画の開発、下請負の有効性と影響の監視である。資金を支出する体制は、DAIが大使館のOTI現地代行者幹部に、NGOと他のベネズエラ緒団体に対する予算を提案することを義務付けている。その幹部は10万ドルまで支出許可を出すことができる。それを超える提案は、AID/OTIのワシントン事務所のCTOによって承認されなければならない。

契約書は、ベネズエラ到着前及び到着後のDAI米国市民職員の責任に関する詳細について数ページ割いている。それは、DAIが設備を整え、ベネズエラにおけるNGO、政府役人や国際組織などの接触先の名簿の準備を含めた、計画開始の準備をする時の敏捷性を強調している。また、契約書が、チームのカラカス到着後、資金の分配が出来るだけ早く始まるべきであると要求していることは注目に値する。これらの要件から、カラカスのIRIとNDI事務所と連携し、直ちに仕事に着手できるよう、DAIチームがカラカスに行く以前から、NEDの先の活動と4つの連携基金について熟知していたであろうことは明白である。

DAIはさらに、事務所用の場所を借り、自らの要員とカラカスに配属されたOTI職員のために家具付きの宿泊施設を確保することを義務付けられている。選ばれた事務所と住居は、大使館の警備条件を満たさなければならず、AIDの地域保安課からあらかじめ書面で承認を得なければならない。契約書は、もしオフィスビルに事務所を構えるのであれば、3階より下であってはならないと述べる。それがもし一階に位置するなら、頑丈な扉と、窓には鉄の格子を備えなければならない。それは通りから離れており、安全で、照明によりよく照らし出された駐車場に接し、壁あるいは金網で囲われていなければならない。加えて契約書は地上通信線の電話、ファックス、インターネット接続、携帯ラジオ、車内ラジオ、携帯電話、衛星電話、全地球測位システム〔GPS〕と社内コンピュータ・ネットワーク等の必須サービスの用意をDAIがしなければならないと規定している。それはまたDAIが米国市民要員とOTI役員のための避難計画を準備することを義務付け、安全管理違反をした要員の解雇の可能性にも言及している。なにはともあれ、これらの詳細な必要条件は、DAIが高い安全性を持ち、他に頼らず、即座にベネズエラを去ることのできる作戦を、素早く設置することを義務付けているのである。

この契約書の最も興味深い側面は、DAIカラカス事務所に対する米国要員(5人)と、ワシントンを拠点とする1人の進行係の任命である。「主要要員」と呼ばれるこの6人は、OTIの契約書で、苗字と頭文字のみではあるが、名を挙げられている。すなわち、グループ責任者J・マッカーシー。計画開発員ら、H・メンデス、L・ブランクとG・ディアス。財務管理専門家G・ファング。そしてワシントンの現地計画主任J・ジャコウィッツである。契約書はこれらの人々が何者であるのか、あるいはこの早急に準備された作戦のため、彼らが何処から来たのかについて一言も述べていない。明らかに、到着したその時から任務を遂行するため、全員がベネズエラとその国における米国政策についての広範な知識を有し、流暢なスペイン語を話せるのだろう。契約上OTIは、この6人の内誰をも入れ替える権利を確保している。従って、民間のコンサルティング会社であるDAIは、計画要員を選べないのである。これら6人が、DAIの商業という見せ掛けを装ったCIA工作員である可能性は否定できない。さらに、全てのベネズエラ人従業員候補者について、DAIは承認を得るため、彼あるいは彼女の履歴書と他の情報を、雇用前にCTOに提出しなければならない。この契約によりOTIが全面的に政府による作戦のため、DAIの企業構造を単に借りている一方で、それを民間部門の計画として偽装しようとしていることは明白である。そして実の所、契約書にある全てのOTIの必要条件は、OTIにより任命された人員により実行される仕事なのであり、DAIは単なる商業という見せ掛けでしかない。

このOTIとDAIの活動が本当にCIAの作戦であるという可能性については、「CIA日記Inside the Company: CIA Diary」(1975年)、において、諸外国におけるCIA工作員のための商業の見せ掛けの利用に関して、私が記したことを思い起こすとよいであろう。1947年の創設以来CIAは、機密を扱う活動から、外交の偽装のもと大使館で働いている工作員を切り離す手段として、海外に非政府の偽装の下、作戦を処理する工作員を配置してきた。長年の間、異なる米国の国際企業が、CIA工作員を彼らの海外事業に配置することにより協力してきた。だが、大使館で働くCIA工作員は常にその非公式偽装の工作員を色々な面で支えなければならず、この管理上の仕事は概して多くの時間を取ったのである。

1960年代の間、ワシントンの外部で、バージニア州ラングレーのCIA本部との直接通信手段を持つ商業の偽装の下、小規模で自立した工作員集団を確立する試みがなされた。その目的は、大使館で働く工作員による、時間が掛かる要請を減らすことにあった。メキシコシティーにおいてコードネームLILINKとして輸入企業を立ち上げた3人のCIA工作員がその例である。大使館内のCIA工作員らがこの非公式偽装の事務所を相変わらず指導していたが、個人的な打ち合わせと、大使館による他の支援の必要性を減少させた安全な通信手段があった。カラカスのDAI事務所は、CIA工作員に、民間そして商業と称する偽装を与え、大使館職員をベネズエラ政治内における機密の介入から分離する試みという点で、完全にこの傾向に合致する。

この契約書を集約すると、2002年4月の失敗に終わったクーデターの後、米国政府は、米国民主主義基金(NED)とその4つの提携基金に対するよりも多くの予算を携え、国際開発庁(AID)を通して、ベネズエラの政治過程に対する介入計画を拡大させた。それにも関わらず、NEDとその4つの提携基金による反対派との計画は継続された。2002年8月に、AID/OTIは、政治的反対派を支援する異なる計画を開発するため、約500万ドルの年間予算と共に、コンサルタント会社Development Alternatives, Inc.(DAI)と契約した。DAIはその後カラカスに、おそらくCIAの前線として、またCIAの人員が配置された事務所を設立し、その一方で米国の多国籍企業の通常の子会社として通用したのである。実際には、それは民間会社を装った米国大使館の主要事務所なのである。

2004年の終わりまでに、少なくとも67の企画が「ベネズエラ:自信構築イニシアティブ」と呼ばれるDAIの計画により資金供給された。2002年秋に開始された最初の企画は、2002年12月から2003年2月の石油産業による締め出しと妨害工作を支援するために立案された。この支援には、ストライキを支持するテレビ広告の組織的活動に対する資金提供が含まれる。ストライキが失敗した時、DAIは2004年8月の不信任国民投票に企画を集中させ、主な受益者の中には、チャベスに対する国民投票を促進した主要NGOである、スマテがいた。これらの活動と並行して、DAIは「国家コンセンサス計画Plan Consensus Country」として知られる、ボリバル革命に対する反対派による政治的計画の発達に出資した。この計画の受益者は「Queremos Elegir(私たちは選びたい)」や「Liderazgo y Vision(指導と理想)」である。現在、不信任国民投票と、2004年10月の地方及び州議会選挙におけるチャベス大統領の勝利以来、DAIは2005年と2006年の国政選挙に集中している。

2004年の末、OTIは進行中の作戦を、ベネズエラ、イラク、アフガニスタン、コンゴ共和国、スーダン、ボリビア、ハイチを含む、11の国において実行中である。OTIのウェブページには、彼らが計画を行っている諸国の表があり、全ての国が計画を説明するページへとリンクされているのだが、ベネズエラのみリンクも計画についての説明もないことは注目に値する。DAIに関しては、2004年末、アフリカ、アジア、東欧と中南米の数十の諸国において計画していた。ベネズエラの他に、ボリビア、コロンビア、ブラジル、エクアドル、エルサルバドル、ハイチ、ホンジュラス、ジャマイカ、メキシコ等で計画していた。これらのOTIとDAIの計画が、果たしてベネズエラにおけるのと同じ条件の下、言い換えれば、CIAの前線の偽装として、遂行されているのかどうか調べる価値があることは疑いようがない。

〔以上〕マリア・ビクトル〔Maria Victor〕によるスペイン語英訳

2.不信任国民投票と、その後起こりうる選挙を監視する、政治政党選挙監視人を組織・訓練するための、AID及びOTI〔以下AID/OTI〕の国際共和研究所(IRI)との契約

この2003年9月15日付けの契約書は、不信任国民投票と、反対派が勝利した場合、新たな選挙を行うという、2003年5月の〔ベネズエラ〕政府と反対派の合意に起因する。2003年9月から2004年9月の期間に対する金額は28万4989ドルであり、IRIは3ヶ月毎に、財務と経過をOTIに報告する義務があった。

この25ページの文書の序文で、OTIは契約に含まれている活動は「比類なく」、そして「ベネズエラの現在の政治的状況は極めて稀であり、前例のない組織調整を要する」と認めている。それゆえに、大使館のOTI代表者とのIRIの「緊密な共同参画」が、計画成功のために欠くことができない。それはまた、「ベネズエラの危機において、平和的、民主的そして選挙による解決を支援するという目標を達成するため」OTIが複数の団体を通し働く、と付け加えている。また、「被譲与者らの努力が繰り返されないよう、そしてベネズエラの繊細な政治的水域において操舵できるよう」AIDはワシントンに調整委員会を設置する、と付け加える。これらと同じ段落は以下の3つの更なる契約書にも記載されている。〔以下の数字は本記事の項目番号に対応している〕 3)OTI/IRI;4)OTI/NDI;5)別のOTI/NDI契約書。上記全てが不信任国民投票と、後に起こりうる選挙に関連した諸計画を決定する。

ワシントンにあるIRI本部により提出され、契約書に含まれた計画説明によれば、カラカスのIRI事務所は1つの組織と、異なる政治政党に所属する自発的な選挙監視人のための訓練計画を立てることに合意した。その計画の必要性は、ベネズエラの選挙組織の信頼性に対する疑念に基づいていた。すなわち、「論争と緊張状態が高まるなか、投票の本来のあり方を保証することを手伝うべく、来る不信任国民投票と、起こりうる選挙のために然るべき抑制と均衡〔checks and balances〕が整えられなければならないことは明白である。政党の選挙監視人は、選挙過程の透明性と信頼性を保証する上で、主要な役割を果たすであろう。」

それは続けて、「投票の安全確保と、投票の正確さに対する公衆の信頼についての秘訣は、政治政党選挙監視人である。この地域と世界中でのIRIの経験は、投票所に立つ政党代表者が不正に対する最善の抑制であることを示している」と述べる。

契約書は選挙監視人に対する訓練課程に出資し、IRIと、意味深いことに名前が挙げられていないが、既にワシントンのAID/OTIのCTOであるラッセル・ポーター氏に「より承認」された「現地の非政府組織(NGO)」により組織される。(その明記されていないNGOはおそらく、NEDにより創設され、不信任投票を促進したうちの主要勢力であった、反チャベス派の市民組織スマテであろう。)契約書によれば、このNGOは、他の人々の訓練者となるよう養成される有給の志願者を集める為、全てのベネズエラ政治政党と接触する。1週間続く研修会は約50人の志願者を教育する。これらの新しく志願した講師らは、カラカスと、スリア州、カラボボ州、タチラ州とアンソアテギ州の州都に配属され、そこで彼らは、不信任投票の日と、反対派が勝利した場合、新たな選挙の日に投票所に割り当てられる他の志願者の準備をさせる。

契約書は、計画を指導する対外全国計画責任者〔Foreign National Program Coordinator〕と全ての志願講師が、雇用の事前承認をワシントンのOTIのCTOから得ることを義務付けている。IRIがベネズエラ組織との下請負を通して、金の分配をすることもまた、CTOによる事前承認を必要とする。加えて、契約書はIRIが3ヶ月に一度財務と進展の報告を、そして計画に影響を及ぼしかねない問題については即座の報告を提出することを義務付けている。

不信任国民投票における選挙監視人の役割は、いかなる不正行為も発見し、確認し、報告するために、投票手続きを厳密に観察することである。不正行為を報告する手順が、契約書の最も興味深い部分である。どの志願者も、彼あるいは彼女の政党や選挙機関にではなく、IRIのNGO協力者のみに不正行為を報告する義務がある。そのNGOが詳細をカラカスのIRIに送り、それを受けてIRIは志願者が目撃した詳細を英語でワシントンのOTIのCTOに報告する。そして、そのCTOがどの情報が発表され、それをどう発表するのかを決定する権限を持ち、その点についてカラカスのIRIに通知する。CTOによる承認を得て初めて、IRIは協力者のNGOがその情報の公表のため、政治政党の1つに通知することを許可する。明らかにこの契約書は、この作戦の完全な指揮権をワシントンのAID/OTIに与えており、彼らは、疑いなく国務省と連携して、もしそれが望むなら全国選挙評議会を除いた、志願した監視人の組織網により集められた情報の利用方を決定する。

3.不信任国民投票と、後に起こりうる選挙を目指し、政治政党を強化するための国際共和研究所(IRI)とのAID/OTIの契約

2003年9月15日付けのこの契約書は、ベネズエラの政治政党に、選挙戦をいかにして組織するのかを教える、カラカスのIRI事務所の計画に出資するためである。これもまた不信任国民投票と、反対派が勝利した場合新たな選挙を行うという、政府と反対派の合意に起因する。それは45万ドルを供給し、2004年9月まで有効であった。契約書はIRIが年4回の、進展と財政の報告をワシントンのOTIに作成するよう義務付けた。

IRIにより書かれ、この26ページの文書に添えられた計画説明は、IRIがベネズエラの政治政党を「強化する」という目標のため、1999年以来計画を実行してきたことを論評している。政党の名を挙げないまま、それは関与している政党が「全政党」に及ぶと述べる。この計画はカラカスのみならず、スリア、カラボボ、アンソアテギ各州において実施されている。NEDと国務省に出資された、この既に存在する計画の主な焦点は、全国世論調査の方式、政治要綱、そして諸政党内の民主化の開発である。

NEDの替わりにAID/OTIにより出資された、この契約が扱う新たな計画は、不信任国民投票と、後に起こりうる選挙の準備のみに専念している。目標は全国を及ぶために、カラカス、スリア、カラボボ、アンソアテギ、タチラでの1週間の政治学習課程を伴う地方の研修会の設置である。全ての政党の指導者と選挙運動家が参加すべく招待され、学習課程は2つの段階を踏む。一段階目において、授業は、「議論と公開討論の場のための候補者の準備、運動発展の異なる段階、そして政党の弱点を克服し長所を利用する戦略を含めた、強力な政党運動の組織」をいかにして作り出すのかに焦点を当てる。

二段階目に授業は、「彼らが効果的に役割を果たすべきである、政治的環境をさらに理解」する為、世論調査と人口・社会・経済統計の研究の準備と解釈を通した政治的調査に焦点を当てる。契約書は学習過程に含まれ得る12の題目の一覧を含んでいる。例えば、組織的活動の編成と構成、活動の一般人員の募集と動機付け、有権者登録一覧の利用法、連合の構築、活動計画の展開、〔同じ投票行動にでる〕一連の投票者〔voter blocks〕の確認と目標設定、活動資金と資金調達の開発、そして戸別調査の組織などである。

この計画のためIRIは、信任投票と、起こり得る選挙運動を通した契約の全期間を任される、対外全国計画責任者として、ワシントンのCTOにより事前に承認された外国の専門家を雇う。この人物は、彼あるいは彼女の全ての時間を計画に捧げ、カラカスのIRI事務所で働き、国中を旅し、政治政党党首らとの接触を保つ。IRIもまた、講義をし、講座の後に続けて行う課業を行う政治的選挙運動の専門家らと契約を結び、中南米、欧州と米国から彼らをベネズエラに連れて来る。彼らは国際政党養成専門家と顧問〔International Party Training Experts and Advisors〕と呼ばれ、それぞれの雇用には同様にワシントンのCTOによる事前の承認を要する。

この契約書の「結論」には、IRIが同じ様な政治・選挙の養成講座を、グアテマラ、ペルー、カンボジア、インドネシア、ナイジェリア、マケドニア等の諸国において組織したという解説が添えられている。

4.反対派政治政党間の連合を助長し、それらの政党を強化するための米国民主党国際研究所(NDI)とのAID/OTI契約

2003年9月24日付で、2004年9月まで有効である、この32ページの契約書は、「連合を構築し、政治政党を強化する」ために、55万ドルをカラカス事務所のNDI計画に割り当てた。この計画もまた不信任国民投票と、不信任投票が成功した場合、続けて選挙を行うという、2003年5月の政府と反対派の合意に起因する。契約書はNDIが3ヶ月毎に、AID/OTIに計画の財務と進展を報告することを義務付けている。

計画の目的は、「ベネズエラの政治政党が連合の構築に従事し、よりいっそう代表的、包括的、党内の民主度を上げ、そして倫理的になることに補佐する」ことである。この計画の必要性は古い政治体系の崩壊という見地から表現されている。すなわち、「しかしながら、新たな政治運動と、内的な亀裂により悩まされ、信頼性と資金が不足した伝統的な政治政党は、チャベスの指導力に対する説得力のある代替案を提示することについて無力であることが判明した。」従って、「答えとして、NDIは中心的な政治諸政党と運動による内部改革と再生努力を促進していく。」

契約書に含まれた、NDIによる計画の記述は政治状況についての論評から始まる。「政党体系の崩壊は、依然としてベネズエラの政治的手詰まりの根本原因のひとつである。」「近年、ベネズエラ社会はウゴ・チャベス大統領の大衆主義政策と権威主義的な指導をめぐり分裂してきた。」「ウゴ・チャベス大統領はベネズエラの歴史上、最も論争の的となり、分極化させる指導者のひとりとして登場した。」1998年に、「国の伝統的な指導者らに深く幻滅した選挙民により、チャベスはさっそうと政権の座に就いた。」「公職に就いた途端、チャベス大統領は上院を廃止し、大統領職の権力を著しく拡大し、政治政党と伝統的な非政府組織(NGO)に対する公共の財政的支援を一時的に停止し、彼自身の『ボリバル主義』社会組織の一群を創設することにより、素早く権力を強固にした。彼は議論を呼ぶ土地改革の方策を遂行し、司法体系を政治化し、メディアにおける彼の批評家を攻撃した。」

契約書はこの計画の下に提案された活動の一覧表を示し、続ける。

a)反対派政治政党と運動との連合の構築。例としてNDIは、連合の形成を話し合う、反対派の代表による戦略的な会合を準備する、というコスタリカ大統領による提案を検討している、と文書は述べる。ベネズエラにおける計画は、連合形成の交渉と共通した戦略の開発についての顧問、政党間の連絡手順の設計、連合に対する他の団体からの支持を引き寄せる計画、諸政党を結び付ける共通の綱領の開発、連合の指導部と将来の選挙における候補者を決定する手続きの設計、そして不信任投票後の連合の指導力に関する案で構成されている。

これらの顧問のためNDIは、それ自身のチームの専門家と、チリ、ニカラグア、ポーランド、チェコ共和国などの他の諸国で連合の構築を経験してきた専門家と政治的「技術屋〔practitioners〕」をベネズエラに連れて来る。

b)チャベス連合との不信任国民投票の支持の促進。「チャベス政権内における不信任国民投票に対する支援を確実にするため、NDIはチャベス大統領の政党であるMVR〔第五共和国運動〕の改革派を探し出し、信頼醸成措置〔confidence-building measures〕が欠かせなかったアルゼンチン、チリ、ニカラグア、ポルトガル、スペインなどの国で技術屋や専門家が学んだ教訓を分かち合う。これらの技術屋は、チャベス大統領の〔革命の〕過程に対する約束についての疑念を取り除くため、事前に対策を講じた上での公の処置を取ることの重要性を強調する。」

c)政治政党と運動の構築と再建。計画のこの部分はNDIが既に進行させており、2003年9月までNEDにより出資されていた活動の継続となる。それを構成するものは、「若者、女性、人種的少数派、そして貧者」等の「十分に代表されていない」部門に裾野を広げるといった様な領域において、政治諸政党を手助けするため、ベネズエラに「国際的な技術屋」を連れてくる事や、「州・地方の支部の強化、倫理と透明度、政治交渉、政党内の意思疎通、連合構築、政治政党と市民社会との間の関係である。」この計画に指名された政党はAD、COPEI、MAS、正義第一、ベネズエラ計画、そしてチャベスの党である第五共和制運動である。

d)世論分析。諸政党との活動を支援するにあたり、NDIはConsultores 21の様なベネズエラ企業の助けと共に、アルゼンチンの調査会社Romer and Associatesと契約を結ぶことにより、世論調査を行う新しい方式を確立する。

この計画を遂行するためにNDIはカラカスの事務所に、政治政党と選挙についての広範な経験を持った全国担当理事を雇う。計画補佐1人も雇用される。これらの任命はワシントンのAID/OTIのCTOによる事前承認を得なければならない。同等の承認は、NDIが海外からベネズエラに連れてこようと計画している全ての技術屋、専門家、顧問に義務付けられている。最後に、NDIは密接にIRI及びアトランタ市の〔ジミー・カーター元大統領が創立した〕カーターセンターと計画を調整することを誓約する。

5.選挙過程を監視することとなるベネズエラ非政府組織の集まりを通して、不信任国民投票と、起こり得る選挙の信頼性を保証する為の米国民主党国際研究所(NDI)とのAID/OTIの契約

この34ページの契約書の有効期間は2003年9月から2004年9月までであり、AID/OTIがIRIとNDIとの間で取り交わした他の契約と同様に、不信任国民投票と、続く選挙を生じさせ得る不信任投票を行うという、2003年5月の政府と反対派の合意の結果である。金額の総計は769,487ドルだが、契約上NDIはベネズエラ及び国際的な対象から追加の資金を求めることを余儀なくされている。このことが、CIAがこの計画に資金を流す手段を与えている。この計画の狙いは、不信任国民投票の投票以前から以後までを監視することとなるベネズエラNGOの集まりを確立し、出資し、養成し、指導することである。計画の資金は同様にこの組織体を支援し、それは反対派が不信任投票に勝利した場合に起こり得る大統領選挙のためと、さらにその先まで、この組織体の長期的な永続性を保証するためである。契約書が、計画の相応しい協力者として言及するベネズエラNGOは、「スマテ(〔団体名の意味〕ぜひ参加を)」、「Red de Veedores(監視者の組織網)」、「Mirador Democratico(民主的観察者)」、「Queremos Elegir(私たちは選びたい)」そして「Ciudadania Activa(活動的市民)」である。

この計画によりNDIは、この無名の市民選挙組織に参加する諸NGOに、不信任投票の全過程に及ぶ多様な作業の訓練と任務のため、数千の志願者を引き寄せることを望んでいる。目標は同時にある問題を解決することにある。すなわち、「ベネズエラ人は不信任国民投票や選挙過程の行政機関に信頼を置いておらず、選挙機関や他の国家機関に偏向があることを当然だと感じている。そこには、選挙日の投票や集計の操作が含まれる。」

NDIは計画の説明に、20年にわたり同じ様な選挙監視計画を65の諸国において実行してきたと記している。ベネズエラでは1995年以来従事してきており、「選挙改革と選挙監視率先のうえで、ベネズエラ市民団体を手助けしてきた。」契約書は「Escuela de Vecinos de Venezuela(ベネズエラ隣人学校)」と「Queremos Elegir」がベネズエラの協力者の内の2つであると言及している。NDIはこの計画の目標は「来たる不信任国民投票と選挙過程での、市民の信頼と参加を促進する」ことであると主張する。

この計画を実行するに当たり、NDIは、「計画の全ての側面について」、関与するNGOに毎日助言を与える現場代理人〔Field Representative〕を雇う。それと同時に現場代理人はNDIと「El Acuerdo de Lima(リマ合意)」と呼ばれる選挙監視組織網の中南米構成員を含む、外国専門家の訪問と予定を準備する。AID/OTIの全ての契約と同じく、現場代理人と全ての専門家と顧問の採用には、ワシントンのCTOによる事前承認を必要とする。同様に、関与するベネズエラNGOに資金を与えるため必要な全ての下請負も、CTOの事前承認が義務付けられている。

計画説明でNDIは、NGOの連携を形成する時の手順を列挙する。それらには著名で尊敬された市民活動家、大学教員、実業界指導者と聖職者などで構成された重役会の形成が含まれる。それらの人々は多様な民族、宗教、ベネズエラ社会の地理的・社会的な区域を代表し、NGO連合に名声と信頼性を与えるはずである。別の手順は、決定を下したり、代弁者を選んだりする方法や、同様に運営、資金の管理、宣伝活動や新参者募集の様な任務についての合意である。活動の計画表を含む作業計画作成や、政府と選挙委員会、政治政党、メディア、国際監視団、国際組織体、一般的な公共とを連結する計画の作成もまた必要となる。最後に、ベネズエラと国際的な寄贈者から資金を集める仕組みを組織することも必須である。

この計画の説明は続けて、選挙前の期間中と選挙日に完了させる活動、そして短期・長期の選挙後の活動について数ページに亘り詳しく述べている。興味深い点は、公式の集計が完了する前に、可能性がある結果を素早く集計する方法である。この方法は、公式集計が利用可能になる前に、可能性がある結果を推定し得る投票所の選抜を基にしている。文書によれば、開票速報の意図は、「1)行われた時点で選挙不正を確認と同時に摘発し、起こり得る不正の発生を妨げることと、2)選挙結果についての公共の信頼を向上させ、選挙後の衝突の可能性を縮小させることである。」開票速報結果の利用には、「公式の集計に対して独立した調査を提供する」という告示が含まれ得る。

NDIは、最初の選挙監視行事、つまり不信任国民投票の後にも、このNGO連合が継続することを重要視している。選挙過程を挟んだ期間中、作業評価、計画立案や市民活動を通して、国中の数千の志願者を活動的で、なおかつ興味を失わないよう、NGOが保持するべきであると強調している。この契約書は述べてはいないが、他の諸国で起きたように、明らかにこのNGOの市民連合が政治政党へと形を変える可能性はある。

D.論評と結論

http://www.venezuelafoia.infoにおいて公表されている機密解除文書によれば、ここで分析した契約は、米国政府機関と政治的反対派のベネズエラ組織体との間で合意に至った、数十あるなかのたった5つである。とは言うものの、それらは、米国大使館、AID及びワシントンの国務省の指揮下にある、カラカスのIRI、NDIそしてDAIの事務所による、ベネズエラの政治過程に対して進出し操作する、途方もない試みを明らかにしている。CIAが果たした役割は明らかになっていないが、秘密の財源支援と他の支援事業にCIAが関わっていることを確信していいだろう。ベネズエラのDAI作戦が実際はCIAの隠密作戦であるという、かなりの可能性がある。

ここで分析した文書が明らかにしていないことは、どの機関が異なる活動と受益者に支援を割り当てるのかを決定する規準についてであり、言い換えれば、どの資金がNEDとその連携基金を通して流されるのか、どれがAID/OTIによりIRIあるいはNDIに直接流れるのか、そしてどの資金がDAIを通して流されるのかである。いずれにせよ、これはワシントンにおいて、介入に関与する全ての機関を代表する委員会により下される集合的な決定であり、その決定は義務を割り当て、作業の繰り返しを回避するよう試みる。

ここで分析した全ての計画は、ボリバル革命に反対する政治政党、及び複数の建前としては超党派だが、実際にはチャベス大統領の計画に同様に反対する市民団体を開発、強化する目標を掲げている。活動は民主主義の支援を装うが、受領組織体の指導者の数人は、2002年4月の失敗に終わった束の間のクーデターの最中に、ベネズエラの民主主義を撤廃したカルモナ法令に調印した。

契約書はチャベス大統領と彼の計画に対する軽蔑を示し、ベネズエラにおける「危機」と両極化を彼のせいにしている。同様に、全国選挙評議会への不信を示し、不正を発見し糾弾するため、選挙過程を綿密に監視する必要性を強調している。これら計画の目標の中で突出しているものは、選挙運動のための新たなメンバーと新たな有権者を引付け得る、反対派政党の連合形成である。調査した契約は1年、DAIの場合は2年続くのだが、それは延長可能であり、あるいは新たな契約が活動の継続を可能にする一方で、変化する状況に応じて必要な調整が出来るのである。

米国は中南米の一般民衆の勢力が権力を握ることを決して許さないのだから、ベネズエラにおいて現在の政治過程が続く限り、これらの諸計画が継続されることは疑いがない。1983年のプロジェクト民主主義採用以来、米国は世界中の多数の国において、米国の政治的な階級と利害を共にし、米国が押し付けようとする「買収民主主義〔bought democracy〕」に乗じる事のできるエリートが支配する、親米の「民主主義」を確立し強化しようと試みてきた。このやり方により米国は、働く人々の真に民主的な政府が、その公益を主張するという脅威を排除することを目指しているのである。2005年1月8日の上院外交委員会での、ベネズエラとキューバについての敵意のある意見の中で、ライス国務長官はこの政策を強調した。2日後、二期目の就任演説のなかで、ブッシュ大統領は米国が対外政治介入を最優先すると再び断言した。この2人と他の人々は続く数ヶ月の間、政権の根本的な計画としての「民主主義の促進」を力説した。中南米では、近年の民衆を代表する勢力による選挙の勝利という展開に対抗する為、この計画の増大が予想される。

チャベス大統領の連合は、1980年代のニカラグアで、サンディニスタ戦線の政府にはなかった、2つの意義深い点で有利な立場にある。一番目は石油収入のおかげである成長する経済である。このことが、ミッションと呼ばれる社会福祉諸計画の成功と、国民所得の再分配の開始を保証した。もう1つの有利な点は、住民を恐怖で圧倒し虐殺する一方で、経済を破壊する国内のゲリラ戦争が起きていない事である。

とは言え、大量のドルが反対派に流れ続けており、2005年と2006年には選挙運動のため、この資金は増大するであろう。チャベス連合と反対派の間の接戦を引き起こすには、2004年8月の不信任国民投票の結果から、10%の変動のみで十分なのである。知っておくべきことは、米国にとって2006年の大統領選挙は既に始まっており、もし彼らが「国民救済連合」という様な、反対派政党の連合を達成したなら、1989年と1990年に類似した介入主義者の活動が起きていたニカラグアと同じく、予期しないことが起きるのは有り得ないことではない。

米国では、選挙に影響を与えることとなる外国の資金を要請、または受け取ることは犯罪であり、ベネズエラにも同種の法律がある。2004年にベネズエラ政府は、チャベスに対する不信任投票を促進する為、NDIから資金を受け取ったスマテの指導者らに対する刑事訴訟を開始することにより、米国の介入に反応した。この動きは予想通り、米国大使、NED、議会の議員から、スマテに対する支持の言葉を引き起こした。だが、2005年7月に、裁判官はスマテの4人の指導者に対する訴訟が係属できると裁定した。(スマテ訴訟についての情報はhttp://www.venezuelanalysis.com/articles.php?artno=1500を参照せよ〔英文〕。)

ベネズエラ政府は常にNDI、IRI、DAIの事務所を閉鎖し、そこで働く米国市民と他の外国人を追放する選択肢を持つ。その様な行動は、完全なる正当性があるとはいえ、間違いなくワシントンから激怒の叫びをもたらすであろうが、かといって作戦に終止符を打つこともしないだろう。3つの事務所はおそらくマイアミに移転され、そこでベネズエラの協力者に資金を配布し続けるだろう。とはいえ、そうなると、ベネズエラで彼らが資金援助する活動を指導することは遥かに難しくなり、会議のためマイアミとカラカス間の頻繁な旅行が不可欠となる。いずれにしても、ボリバル革命を阻止し、古い少数独裁政治家が政権に復帰することを可能にする米国の介入政策は変わらないのである。ベネズエラに貧しい者の利益を優先し、キューバ革命との強固な関係を維持し、米国抜きの地域統合を促進する政府がある限り、その政策は継続するのである。

〔以上〕ドーン・ゲーブル〔Dawn Gable〕によるスペイン語英訳


[1]編注:2004年8月15日の大統領罷免国民投票後まもなく、民主調整委員会は崩れ去った。



訳者補足:

著者Philip Ageeの名前はフィリップ・エイジー以外に、フィリップ・アギー、フィリップ・アジー、フィリップ・アジェ等と訳されている。 また、「阿修羅」という投稿サイトの中で、ある投稿者の方が指摘しているとおり、当記事のスペイン語原文のタイトルは「ボリバル革命に対する米国の静かなる介入」である。

なお、英文のリンクは以下:

Part1.
http://www.venezuelanalysis.com/articles.php?artno=1548 (Venezuelanalysis)
http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=45&ItemID=8705 (ZNet)
Part2.
http://www.venezuelanalysis.com/articles.php?artno=1549(Venezuelanalysis)
http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=45&ItemID=8709(ZNet)
Part3.
http://www.venezuelanalysis.com/articles.php?artno=1550(Venezuelanalysis)

スペイン語原文のリンクはhttp://www.rebelion.org/noticia.php?id=18132

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